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あの娘ぼくがブログ書いたらどんな顔するだろう

3歩進んでは2歩下がってしまう25歳ゲイのブログ

人生の「勝ち負け」に囚われているあなたへ

仕事 雑記

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今日復職前の最終面談があり復職の日程が決まった。3月23日から復帰。また働ける安堵感と、ほんとにやっていけるか?という緊張感で胸がぱんぱんだ。けどまた働けるのはとても嬉しい、会社に感謝だね。

この3ヶ月の間、新しい感情や考えが自分の中に生まれた。首から下が動きませんって親父の病状を言われた時のどうしようもない悲しさとか、不安定な家族を守りたいなっていう責任感とか。今までに感じたことない感情。仕事に対して「逃げたい」って思ったのもはじめてだったな。結果逃げたんだけどね。でも社会から距離を置いたことで見えてきたこともあった。

 新卒で大企業に入社し、常に競争に晒されていたせいか、ここ数年の僕は上昇志向に取り憑かれていたように思う。志を高く持ち、「出世して同期よりも偉くなることが幸せ」と無意識に考えることが多くなった。実際に同期よりも早く昇給したと判明した時には自分が優秀な人間になったような気がしてとても誇らしい気分になったりもした。


上昇志向を拗らせたあげく「人生に勝ち負けをつける」という悪癖が自分の中に生まれているのに気がつけなかった。「あの人は大企業に勤めていて肩書きがあるから人生の勝者、ろくな仕事もせずによくわからないあの人は敗者」。自分の人生を誰かと比較して、誰かより勝っていることで安心したり、負けていれば悔しがったり(大抵「まだ俺は若いし」と逃げその悔しさには直面しないようにしていたが)。その悪癖はもれなく恋愛にも反映され、自分より勝っている人でないと魅力がないように思えて人の社会的な立場など表面上の情報が気になるようになった。

三ヶ月間、会社から離れてみて「人生の勝ち負け」に囚われていることがいかに虚しいことだったかと気がつくことができた。僕が使っていた基準は僕が作りだしたオリジナルなものではなく、僕が属していた集団で多くの人が良かれと思っていた基準だった。皆が良いと思っているものを自分の頭でよく考えもせずに追い求めることはすごく楽なことだった。皆が良かれと思っているものを手に入れるのが幸せだと信じることは迷うことがなくて安心だった。しかし実際は幸せを「えらくなること」と定義しない人がたくさんいることを知り、そろそろ自分の幸せの定義を自分で考えなければこの先「誰かが定義した幸せ」と「自分の幸せ」の乖離に苦しむのは時間の問題だということに気がついた。

自分の幸せを考えたとき「自分の世界が豊かであること」と「他人から必要とされること」いう2つのキーワードが思い浮かんだ。自分の世界。それは今までの経験や好きなモノ、ヒトから刺激を受けて僕が大切に育ててきたもの。仕事に忙しかったり、つらいことがあったりしても。心の中にある自分の世界が好きなもので満たされ豊であれば幸せだ。そこに「他人から必要とされる」という自分ひとりではできない方向からの自己肯定があるとき、それってすっごく幸せだ。もしかしたら幸せはその時々によって変化していくかもしれないけど常々、自分の頭で考えたい。一番ばかげているのは人生はそれぞれに違って比較できるものではないことを忘れてしまい誰かの価値観で勝手に「勝ち負け」をつけること。
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とか偉そうにに書いたけどまだまだハピネスとはなんぞやの真理にたどり着けません。谷川俊太郎訳のピーナッツの本読んでから出直したほうがいいですね。

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休職中にブログがあって本当によかったです、救われました。自分のぐちぐちイジイジした考えを瓶につめてインターネットの大海原に投げ入れることはすごくストレス解消になったし、ときには砂浜に流れ着いた瓶の中身を読んでくれるひとまでいる!なんと嬉しいことなんでしょうか。先日読者が100人を超えていて「こんな駄文を読んでくれる人が100人もいるのか....下手な地下アイドルのリリイベよりも人集まってる....」と思ったら泣けてしまいました。これからも大海原に瓶投げていきますので、よろしく御願いいたします。


ノリマキ