あの娘ぼくがブログ書いたらどんな顔するだろう

3歩進んでは2歩下がってしまう25歳ゲイのブログ

強い人もいつかは脆くなるけれど

今週末はお盆ということで祖母の家に帰省。祖母の家は成田にある大きな一軒家。母屋だけでなく、離れまである、昔ながらのいいお家だ。大きな庭には犬がいて、向かいの山ではカブトムシが沢山採れる。僕は横浜の都市部の小さな家に住んでいたので、そんな趣がある祖母の家が大好きだった。

そんな大好きな家なのだけど、もうそこには祖母も祖父も住んでいない。
ふたりは痴呆と老衰が進み、数年前から近所の施設で過ごしている。

今回もふたりに会いにいってたくさん話すことができて嬉しかったのだが、ショックだったことが一つあった。祖母は痴呆が進み、僕の顔を見ても、もう僕が誰だか判別できなくなっていたことだ。

それでも全部を忘れたわけではなく、母の名前を出したり、昔の話をすると、それとなく話を合わせて会話はできていた。それでも記憶は曖昧で、たまに僕の顔を見て「お前は誰だ!」なんて言い出すこともあった。

痴呆が進む前、祖母はとびっきり優しくて強い人だった。僕が夏休みに帰ると沢山美味しいご飯を作って待っていてくれた。夜は「学校の話をきかせて」「一番仲の良い友達の話をきかせて」とシャイな僕が喋りやすいように沢山質問をしてくれた。それがすごく嬉しかった。一方で、祖母はとても勉強に対して厳しかった。両親は勉強や成績に口を出してくるタイプではなかったのだが、なぜか祖母はとても厳しかった。夏休みには通知表を祖母に見せて、フィードバックを受けるというのが恒例行事としてあった。僕は成績が悪く、「勉強しないと困るのはあんただよ」といつも葉っぱをかけられていたのを覚えている。厳しい言葉のあとにも最後は「あんたは賢い顔をしているから本当はできるはずだよ、ばあちゃんにはわかる」ときちんと激励してくれていたも本当に優しい。

僕の就職が決まった時、一番喜んだのも祖母だった。その時に初めてきいた話がある。実は僕は生まれてすぐの時に「もしかしたらこの子は知的障害があるかもしれない」とお医者さんに診断されたことがあったのだとか。母も父もその時はもちろん、すごくショックを受けていたみたい。けど祖母だけはそんな二人を「この子は賢い顔をしているから絶対に障害じゃない」と激励したんだって。

きっと祖母は心の底では、それとなくだけど、その時のことを気にしていたんだと思う。だからいつも僕が人並みに勉強をきちんとできるかを気にしていたし、勉強しなさいって口酸っぱく言っていた。僕が就職した時、本当の意味で安心したみたい。「ばあちゃんはあんたが賢いってわかってたよ」って本当に誇らしい顔をしていたから。

そんな強かった祖母も、今では僕のことも忘れてしまって、元々小さかった身体は握ったら折れそうなほど小さくなっていた。もちろん本当にショックだったんだけど、帰りの電車の中で、こんな風に祖母が僕に言ってくれたことや、してくれたことを思い出すと自然に強い気持ちが湧いてきた。

強かった人も優しかった人もいつかは脆くなって、自分ひとりでは生きていけなくなる。そう思うと悲しくて、虚しくなってしまいそう。けどその人が強く優しかったことを、皆がきちんと覚えていて、それが新しい強さと優しさを生むならば、全然虚しいことなんかじゃないよね。

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祖母の知的障害に対する表現は適切ではないけれど、敢えて言っていた通りに書きました。不快な気分になる方がいたら申し訳ありません。

ノリマキ